ご由緒
御祭神 天照大御神
yuisho_photo1皇室の御祖神であり、太陽神でもある天照大御神(アマテラスオオミカミ) をお祀りしています。天照大御神は、我が国で最も貴く、国家の最高神とされています。 御神名はいくつかの表記法があり、『古事記』においては天照大御神、『日本書紀』においては天照大神と表記されております。一般には天照大御神(アマテラスオオミカミ)の表記が最も親しまれています。 国土の創造神であるイザナギが、黄泉の国に下ったイザナミと別れ、黄泉の穢れを洗い流した際に、左目を洗ったときに誕生したとされています。このとき右目から生まれたツクヨミ、鼻から生まれたスサノオと共に、三貴子と呼ばれる。このときイザナギは天照大御神に高天原を治めるように指示し、最高神となりました。
阿佐ヶ谷神明宮の成り立ち
yuisho_photo2寛政12年(1800年)に著された『江戸名所図会』によると、日本武尊が東征の帰途阿佐谷の地で休息し、後に尊の武功を慕った村人が旧社地(お伊勢の森と称される現在の阿佐谷北5丁目一帯)に一社を設けたのが当宮の始まりといわれております。 建久年間(1190~1198年)には土豪横井兵部(一説には横川兵部)が伊勢神宮に参拝したおり、神の霊示を受け、宮川の霊石を持ち帰り神明宮に安置したと伝えられ、この霊石は今も御神体として御本殿の奥深く鎮っております。 江戸時代から庶民の信仰が篤く、その一端を示す「内藤新宿仲下旅籠中仲下茶屋中」の文字が刻まれた文政十一年(1828年)の銅製の三本御幣が奉納されています。
阿佐ヶ谷について
yuisho_photo3 地名の由来は桃園川の浅い谷地であった事に由来しているとされ、中世には阿佐ヶ谷氏と呼ばれる一族が支配した阿佐ヶ谷村と呼ばれていました。 阿佐谷の地名は伝統的には「阿佐ヶ谷」なのですが、昭和38年に住居法により、「阿佐谷」に統一されました。そのため、住所としては「阿佐谷」、駅や一般名称としては「阿佐ヶ谷」が使用されています。 大正時代の関東大震災後から昭和にかけて都心や下町から井伏鱒二をはじめ、与謝野晶子、太宰治、青柳瑞穂、伊馬春部、三好達治、火野葦平、徳川夢声など文人が住み、阿佐ケ谷文士村と言われました。今でも書店・古書店が多く文化の高い町であります。
阿佐ヶ谷神明宮の現在
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平成二十一年秋に「平成の大改修」が無事竣工し、神明作りの御殿・神門、新しい祈祷殿・能楽殿などが誕生致しました。 境内地は約3000坪のうっそうとした森をなしており、シイ、カシ、クス、ケヤキ、イチョウ等の巨木も多く東京都内最大級の伊勢神宮勧請の神社であります。一方JR阿佐ヶ谷駅から徒歩2分の交通至便の地にあるため、年間を通し数十万人の参拝者で賑わいます。 また近年は骨董市、植木市、さらに能や伝統芸能の奉納、或いは杉並区主催のジャズストリートの会場になるなど、地域のコミュニケーションの場として広く親しまれております。 中でも豊年満作を祝い神に感謝するものとして例大祭に奉納される「阿佐ヶ谷囃子」は、江戸時代末期からの伝統を誇り、区の無形文化財に指定されております。なお、例大祭には氏子内14カ所の御幸所から各神輿が集結し、一斉に氏子巡幸する姿は誠に壮観であり杉並の風物詩のひとつとなっております。 明治以降「天祖神社」と変更されていた社号も、平成二年より江戸時代からの名称である「神明宮」に復称致しました。